わたしたちの誓い

100年の伝統に甘んじることなく
真摯に前向きにチャレンジを続けていきます

代表取締役社長 斉藤義弘

2019年インターワイヤード(旧斉藤コード製造)創業百年を迎えることができた。
100年間の荒波を乗り越えてこられたのはなぜだろうと考えてみた。

キーワードは二つあると思う
『何事からも逃げなかったこと』『失敗から学び続けたこと』

この100年間、いくつかの先の見えない不景気にも遭遇し、労使の軋轢で工場がロックアウトされ製造ができなかった時期もあったと聞く。オイルショックで材料の塩ビが入荷しなくなったこと、桐生工場の火災、東日本大震災により岩手工場との物流が途絶えたこと、顧客の主力工場の海外移転による仕事の激減、など数多くの試練がありました。この間多くの、同族経営の中小電線製造者は銅の山元の古河、三菱、住友などの系列に買収され、名前も消えていきました。
私共の不注意や知識不足からの不具合や、管理不足からの納期遅延などでお客様に多大なご迷惑をかけお叱りを受けたことも多々ありました。ともすれば、叱られたくない、言い訳をして逃れたいと思うのが人間ですが、我々の先達は、その状況に真摯に対応し、ご迷惑をかけたのにも関わらず、その適切な対応により、再び顧客の信用を回復してきました。

私の好きな言葉に、『人は失敗からしか学べない 人生に無駄なものはなにも無い』という言葉があります。
どんな負の経験もそれを活かせば、プラスになります。ただし、同じ過ちを繰り返さないこと、組織知として受け継ぐことが大切だと思う。

今後も全社員一丸となって、100年の伝統に甘んじることなく真摯に前向きにチャレンジを続けていくことを、ここに誓います。

モノづくりを通した「人財」育成
働きがいのある桐生工場を目指します

桐生工場長 浅沼薫哉

100周年という節目に社員の一人として立ち会うことができるのは光栄であります。今日の弊社桐生工場は、これまで永きにわたりご支持いただいたお客様、築き上げてくださった緒先輩方、仕入先、協力工場、現従業員・・・すべての方の賜物と感謝申し上げます。

私が縁あって齊藤コード製造㈱に入社したのは1995年(平成7年)4月のことでした。桐生工場では特殊な電線、ヒーター線を製造していることに特に魅力を感じました。工場は2階建て、1階では電気毛布や電気カーペット等のヒーター線やリード線を製造し、2階ではヒーター線使用した加工(アルミプレートヒータ)やハーネス端末加工など、どちらも活気がありました。
時代は変化し、家電は海外生産へと移り、国内では多品種小ロット生産が主流となっていきました。2001年にはヒーター線/リード線の押し出し部門を岩手胆沢工場へ移管、翌2002年には2階の加工部門を外作化、桐生工場のモノづくりは技術と品質/生産管理部門が主体となりました。お客様の厳しいご要望やトラブル対応に対し、組織の垣根を越えて営業・総務、時には他拠点を含めた総力で乗り切ったこともしばしばありました。

弊社桐生工場の製品は、このようなヒーター製品と、大手空圧機器メーカー様のカスタムハーネスの2本柱で構成されていますが、何れもそのほとんどが機器等の内部に組み込まれて使用されるため、市場で直接目に触れることがない「裏方」ですが、お客様各位の永いご支持を戴き、重要部品として役割を果たしているという自負があります。

3年半前に工場長を拝命しこれまで内部の課題を中心に取り組んでまいりましたが、次世代にしっかりとバトンを渡すことも桐生工場長としての大きな使命です。これからもカスタムハーネスとヒーター加工の2本柱を軸に、お客様のご要望に的確にお答えして、常にご支持いただける会社となるために、技術力の強化を図ってまいります。技術部のみならず、品質管理、生産管理、営業を含めた各部において、実際のモノづくりに直接関わる機会を持ち、協力工場と共に知恵を出し合い、常に改善意識を持ったモノづくりを通して、「人財」育成を目指します。

「共育」:共に学び共に育とう の理念のもと、皆が互いを認め合い自らが成長し、会社に来るのがワクワクするような桐生工場になれば自ずと良いアイデアが生まれる、そんな働きがいのある工場を目指します。

常にコスト意識を忘れず、仲間を思いやり、後進を育て、
益々の発展を遂げられるよう邁進

岩手胆沢工場長 佐々木清文

先日、会社の創立100周年イベントで使いたいとの話を受け、会社で撮った昔の写真を引っ張り出し眺めていた。岩手胆沢工場が竣工した当時の写真である。存在感を放つ水色の工場と、真新しい制服に身を包んだ従業員と一緒に写っているのは、工場の周囲に立っている桜や杉などの木々たち。
あれからもうすぐ丸28年。工場や従業員の成長とともに木々たちも成長を続け、今では倍近くに育った木々たちを見て時間の流れの早さを実感しているところである。

今まで岩手胆沢工場に在籍した従業員数は110名ほど。無事定年を迎えられ退職された方もいれば、家庭の事情で途中退職された方、会社の都合で止むを得ず退職された方もいます。過去に在籍されていた諸先輩方や仲間たち皆さんの存在がなければ、間違いなく今の工場の発展はなかったものと仲間の顔を思い出しながら改めて感謝する次第です。

私が工場の責任者の任を受けて3年半になります。工場長の話が出た当時、まずは前取締役工場長の力が凄まじく、とてもじゃないけど後を継ぐなんてとんでもないという気持ちだったのと、何よりも従業員の皆が、口煩く、そして基本的に機嫌が悪い私に付いてきてくれるのかというのが一番の心配事だった。但しその反面、岩手に居なかった3年のブランクの中で岩手胆沢工場が悪い方向に変わってしまった一面(ISOやQCなど)が見えたことで何とかしなければという気持ちになったのも正直なところであり、結局のところ後者の気持ちが強く、前工場長の定年退職に合わせた形で任を受けることになった。
それからというもの、徐々にではあるが悪く見えた一面も時間とともにいい方向に変わってきており工場長を引き継いだ後悔はないと実感しているが、これも私一人だったら到底不可能なことであり、当初考えていた不安を払拭するもので、従業員の皆さんが今日まで一致協力し動いてくれたお陰であると心から感謝しています。ありがとうございます。

これからもっと工場を発展させるためにどうするか。現在朝礼で「改革の基本精神十箇条」を読み合わせしているが、この意識改革が非常に重要と考え、一人一人が常にこの意識を持ち業務遂行することができれば今以上に工場も発展できると確信する。
また、人を育てることも非常に重要である。諸先輩方がいたからこそ今の自分たちがあり、そして今後工場を存続させていくために人を育て、残していくことこそが最も重要である。私の尊敬する地元の偉人である後藤新平先生が亡くなる直前に残した「よく聞け。金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ。」という言葉がある。この言葉に対する考え方は人それぞれだと思うが、私の中ではこの考えが基本となっている。
「人」が一番ということである。

最後に。今までこの会社を支えてくださった諸先輩方と今いる仲間たち、そして家族に感謝するとともに、会社として利益を残していくために常にコスト意識を忘れず、仲間を思いやり、後進を育て、益々の発展を遂げられるよう邁進して行きましょう。
工場周辺の木々たちのようにさらに上を目指して・・・。

今までありがとう。そして、これからもヨロシク!